2008年4月11日金曜日

国家行政論


『国家と社会との関係について述べよ。』

1 はじめに
 国家に生起する現象を政治面や社会面から把握する。一元的国家論と多元的国家論との違いについて考察し、国家を成立させる要素を伝統的に考えれば、国民、領域、主権がある。それらの要素には、人間が係りを有しており、政治現象や社会現象を理解することにある。国家と社会との関係について述べたい。

2 国家と社会
 政治学において近代国家にかかわる問題は、国家権力の行使にあり方についてさまざまな角度から議論されてきた。中でも、国家と社会との関係、あるいは国家のもつ権力と他の社会集団がもつ権力との関係は中心的な議論であった。
社会契約説より前に主流だったのが王権神授説です。これは、国王の支配権は神から授かったものという思想です。国民は国王の命令に服従しなければならない、それに反することは神に反することになると考えます。
これに対抗して出てきたのが、社会契約説です。こちらは、人間は生まれながらに自由などの権利をもつとし、その権利を維持するため、個人相互が契約を結んで出来たのが国家であると考える思想です。つまり、国家の支配権は国民により預けられたものと考えます。要は、日本国憲法前文にある「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」という文の基礎となる考え方です。
ロックとルソーの違いですが、ルソーの方が70年ほど後に出ている分だけ革新的ですロックはイギリス人で、議会が最高権力を持つこと、悪い政府や議会は変えていいことを説きました。このロックの考え方が発達したのが、イギリスの議院内閣制です。ルソーはイギリスの制度が国王や貴族院があるため不完全と考え、より完全な民主制を説きました。このルソーの考え方を背景として、フランス革命が起きました。
国家についての諸学説の中で,国家のもつ権力と他の社会集団のもつ権力との関係に基づく国家論 が,一元的国家論と多元的国家論である。以下,まず一元的国家論について説明し,次に多元的国家 論について説明する。 そもそも「一元的国家論」は,後述する多元的国家論を主張したラスキによってつけられた呼称で ある。一元的国家論とは,国家に絶対的な意義を与え,国家権力の倫理的意義を強調する考え方である。国家のもつ権力と他の社会集団のもつ権力との関係については,国家に最高権力の是認が伴って いるものとして捉える。すなわち,個人や社会集団に対する国家の独自性を強調し,国家は絶対的な 主権を有するとされる。 近代国家の完成にともなって成立した夜警国家観は,こうした一元的国家論を積極的に主張する理 由を失わせた。なぜなら,国家は,他の社会集団の経済活動に干渉することを差し控えることが善い とされたからである。ただし,こうした中で,ヘーゲルは,ドイツの後進性のゆえに,国家の存在理 由を強く主張し,人倫共同体としての国家を高く評価した。それゆえ,ヘーゲルの国家論は,一元的 国家論の系譜に入る。その後,ヘーゲルの国家論を継承するボザンケットらの包括的国家論などが一 元的国家論として登場し,そうした考え方は,国家が経済・社会問題に積極的に介入することを正当 化した。 このような一元的国家論を批判したのが,多元的国家論であり,それは両大戦間期に主にイギリス において,既述のラスキを中心に唱えられた。多元的国家論とは,国家の他の社会集団に対する絶対 的優位性を否定し,国家を他の社会集団と同様に,特定の有限な目的をもつ集団の1つであるとみなす考え方である。すなわち,国家は,社会内の多くの集団(宗教的・経済的・職能的な集団など)と 並存するひとつの集団にすぎない。多元的国家論には,国家と社会を分離し,個人の自由を確保しようとする考えが内在している。 一般的にいって,多元的国家論の背景には,夜警国家から福祉国家への転換にともなう国家機能の 増大と個人の自由に立脚した自由主義の危機の自覚が挙げられる。なによりもまず,この国家論は, こうした傾向のなかで国家の絶対化を防ぎ,自由主義の原則を貫くために唱えられたものである。 両者の見解の相違は,国家と他の社会集団とがもつ権力関係に拠っている。一元的国家論では,国 家が他の社会集団よりも優越的な存在であるとみなすのに対して,多元的国家論は,国家を絶対視せず,両者を対等に位置づける。

3 一元的国家論と多元的国家論
 国家と社会との関係についての議論は、権力の分布の観点から、大きく2つに分けられる。1つは一元的国家論と呼ばれるもので、国家を他の社会集団と質的に区別し、国家をあらゆる社会集団の中で最も上位に位置づける。これは国家権力の絶対性を強調するものであり、他の社会集団は国家の存在を前提としている。
 多元的国家論の議論は、欧米流の自由主義と個人主義の尊重というかんてんでは理解できるものの、実際問題として、国家と他の社会集団とを同等に扱うのは困難であることも確かである。国家がその他の社会集団(たとえば、政党などの政治的結社や労働組合、会社、学校、教会などの組織)と違うのは、国家のレール(憲法を頂点とする制裁など)が圧倒的に強く徹底している点である。結社や組織の拘束力から逃れることが可能である。この場合、国家以外の人間共同体については参加と退出は比較的容易であるが、国家についてはそうでない。独裁国家であれ民主的国家であれ、強制力を行使できる主体として、国家という組織ほど正当性をもつものはほかに見当たらない。
 近代に入ると一般国家論に対して、イギリス政治学の特色として現れたものに多元的国家論がある。この多元的国家論は、ラスキ、コールにより代表される。
 ラスキにおいては、国家理論を基として、国家改造に関するひとつの案を立ててこれを多元国と呼んでいるのである。彼においては、現代国家の理論的説明としての多元国家学説を主張しており、国家改造としての多元国なるものが唱導されている。
 コールの場合は、連合体ともいうべくもので、彼は、社会改造案にナショナル・ギルトと国家とを独立並存させ、国家は、ナショナル・ギルドを支配すべきでなく、この上に連合的において協同させ、連合的は両者の協議会のようなもので統合的職能を行うものとなっている。
 このような多元的国家論の特色は、国家を部分的なものと捉え、他に各種団体を認め、それら団体との道徳的社会的存在において捉えるべきであることを説くのである。

参考文献
(1) 関根二三夫・岩井奉信・黒川貢三郎・杉山逸男・外山公美・松木修二郎著『教養政治学』南窓社 2005年3月31日 p28.
(2) 関根二三夫・泉淳・小川原正道・櫛田久代・倉島隆・田村充代・渡辺孝著『問題発見の政治学』八千代出版 2004年4月15日 p64-67.